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コラム「坤輿万国全図」2025年5月 カンボジアの丘で考える、リゾート開発とPFAS

2025.5.15

コラム

「いま君は何かを思っている。その思いついたところから書き出すとよい。」

 司馬遼太郎の小説『関ヶ原』に登場するこの一節は、ヘンリー・ミラーの言葉として紹介されている。出典は定かではないが、創作の姿勢を端的に表した言葉として、ひそかに知られている。久しぶりにコラムに向かうも、筆がどうにも動かなかった私にとって、これは胸を押してくれる一言だった。ならば、思いついたところから、静かに始めてみたい。文中のデータや意見については、本来なら出典を明記すべきところではあるが、本稿では割愛し、必要に応じて個別にお答えさせていただければと思う。

 さて、昨日のこと。名刺交換の場で、あるお客様が私の肩書にふと目を留めてくださった。
「アジア・アフリカ環境ソリューション室……面白いですね」。
実はこの部署、社内の組織図には記載されていない。名乗っているのは、この私ただ一人である。それでも、上海の仲間たち──SHARTとともに、少しずつ歩みを重ねている。現在進行中のカンボジアでのリゾート開発プロジェクトも、その歩みの先に芽吹いた、小さな種のひとつだ。

 きっかけは、2024年6月に届いた一本の問い合わせだった。

 差出人は、プノンペンで工務店を営む、自称「DAIKU氏」。やや風変わりな人物で、「リゾート地の丘に、屋形船を浮かべる川と、桜並木を造りたい」と、夢のような話を語ってくれた。だが、現実というものは、えてして手強い。その丘には、上水も下水もなく、乾季には川の水すら枯れてしまうのだった。
私が現地を訪れたのは、今年4月。乾季の終わりにあたるカンボジア正月、「Moha Sangran(モハ・サンクラン)」の頃。町では、水かけ祭りに興じる人々の笑顔があふれる。誰彼かまわず、水を掛け合い、新しい年を迎える喜びを分かち合う。水はこの国の人々にとって、祝福であり、清めであり、そして再生の象徴でもある。そこには、仏教の教えが、音もなく息づいている。

 リゾートの入り口で、私たちを迎えてくれたのは、一輪の蓮の花のモニュメントだった。
蓮は、濁った泥の中に根を張りながらも、その穢れに染まらず、静かに、美しく咲く。その姿は、煩悩に満ちた現世にありながら、清らかなる悟りを目指す心の象徴とされている。カンボジアの寺院の池には蓮が浮かび、人々はその花に手を合わせ、祈りを捧げる。蓮は、癒し、再生、調和──そうした記憶を、水とともにたたえている。

 オーナーが、ふと話してくれた。「蓮はね、クレオパトラも愛した花なんです。カエサルやアントニウスとの出会いと別れのなかでも、蓮は彼女のそばを離れませんでした。」蓮とは、時代も文化も超えて、人のそばに寄り添う花なのであろう。

写真1 エントランスのモニュメント。蓮の中にある。

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写真2 リゾート地の全景。丘の上の青い空の下にある。聞こえるのは風の音だけ。

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写真3 カンボジア人の笑顔が迎えてくれる。

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 さて、ここで話は転じて、PFAS(有機フッ素化合物)の話となる。リゾート開発とPFAS対策、一見、なんの関係もないように見えるかもしれない。だが、どちらも本質的には、「水を清らかに保ち、人と自然の調和をいかに実現するか」という問いに向き合うものである。そして、それに用いられる技術の根っこは、実は同じ地層に根ざしている。

 カンボジアの丘陵地では、自然との共生を意識しながら、水の供給と排水処理という現実の壁に直面していた。一方その頃、日本の本社では広報部員が中心となり、PFASに関するホワイトペーパーの策定が進められていた。
PFASとは、–CF₃や–CF₂–など、フッ素(F)に覆われた炭素(C)構造を1つ以上もつ有機フッ素化合物の総称である。シミュレーション上では700万種、実際にリスト化されたものでも12,000種類に及ぶ。飲料水や河川水、地下水などから検出されるPFOSやPFOAも、このPFASの一種だ。ホワイトペーパーとは、PFASに関するリスクを見通し、どの対策を選び、どうコストと効果の均衡を図るか──企業の意思決定を支えるための戦略的文書である。

 私が最初に手がけたのは、国内外のPFAS規制動向の比較だった。

表1 各国・地域の規制・飲料水の基準

PFAS種 国・地域
日本 中国 EU ドイツ アメリカ
国による規制の濃淡 POPs条約規制物質のみ POPs条約規制物質のみ POPs条約規制物質(PFOS, PFOA, PFHxS製造・輸出入・使用が禁止)
+ 他の長鎖・短鎖のPFAS
PFOA PFOAとPFOS
合計で50ng/L
80ng/L 4.0ng/L
PFOS 40ng/L 4.0ng/L
PFOA・PFOS以外 PFNA 10ng/L
PFHxS 10ng/L
HFPO-DA(GenX化学物質) 10ng/L
ΣPFAS
特定PFASの濃度合計
PFOS・PFOAを含む20種類のPFAS合計100ng/L

2026年から左記の基準値
2028年から4種類のPFAS(PFOS、PFOA、PFNA、PFHxS)合計20ng/L
PFNA、PFHxS、HFPO-DA及びPFBSの混合物 ハザード指数1
総 PFAS 500ng/L


*1:短鎖のPFAS:炭素数が5または6以下の、炭素の繋がり(鎖)が短いPFAS
   長鎖のPFAS:炭素数が6または7以上の、炭素の繋がり(鎖)が長いPFAS

 世界の規制方針は大きく二つに分かれている。一つは、日本や中国のように、POPs条約に基づき、PFOS・PFOA・PFHxSといった特定の物質だけを対象とする規制方式。もう一つは、EUや米国のように、それ以外のPFASも合算して規制する、包括的な規制方式である。

 なぜ、こうも対応に差が出るのか。その背景には、PFASという物質の持つ、あまりに多様で、そして膨大な存在がある。短鎖PFAS*¹を含めれば、年間100万トン以上が生産されている。しかも、その多くが難分解性であり、環境や生物に蓄積される特性を持つ・・この点については、科学的な合意がほぼ成立している。発がん性への関心も高まっており、2023年には国際がん研究機関(IARC)が、PFOAを「人に対して発がん性あり(グループ1)」、PFOSを「おそらく発がん性あり(グループ2B)」と位置づけた。ただし、それ以外のPFASについては、未だ研究途上であり、評価は分かれているのが現状である。リスト化されているだけでも12,000種。だが、実際に研究されているのは、そのうちの6割がPFOSとPFOAで占められている。つまり、圧倒的多数のPFASの有害性評価は未確立なのだ。

 さらに、「安全な代替品」とされたPFASが、後により深刻な害をもたらすと判明した例もある。たとえば、PFOAの代替として登場したGenX(HFPO-DA)は、初めは低毒性とされたが、のちにその環境残留性と毒性が問題視され、米国では規制対象となった。
このような「残念な代替(regrettable substitution)」を繰り返さぬために、欧米では「明確に安全と証明されるまでは使わない」という予防原則が徹底されている。

 そして今、日本で新たな動きが出始めている。2024年12月、環境省はPFBS、PFBA、PFPeA、PFHxA、PFHpA、PFNA、GenXの7種を、「要検討項目」の候補として新たに追加した。今後の規制対象として検討される可能性が高い。いま、私たちはPFASに対して、より広い視野と先見性を持った対応が求められる地点に立っている。そして、これから選定される対策にも、短鎖PFASへの拡張性が問われることになるだろう。

写真4 リゾート入口のマンゴー園

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写真5 小河川。左:雨季(24年9月)流水に細波が見られる。右:乾季(25年4月)流れはわずかである。

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写真6 オジギソウ(Mimosa pudica)の群生。特徴的なピンク色の丸い花と、小さな羽状の葉を持ち、触れると葉が閉じる性質がある。

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山内仁 株式会社流機エンジニアリング アジアアフリカ環境ソリューション室 室長

山内仁の紹介
株式会社流機エンジニアリング
アジアアフリカ環境ソリューション室 室長

国立弘前大学教育学部卒業、同大学院理学研究科(地質)修了。理学修士。専攻:地質学、堆積学、教育学。技術士(応用理学部門(地質)、総合技術監理部門)。

大手コンサルに所属していた1994年ニカラグア国マナグア市上水道整備計画基本設計調査(JICA)、1998年汚染土壌等復旧工事総括監理業務(環境省)に従事。エンバイオ・グループに所属していた2012年から中国での土壌汚染対策に従事。近年は操業中工場向けに診断から様々な環境対策(排気・排水・土壌・廃棄物・水資源活用)を提供する中国環境リスクソリューションを構築する。2021年2月より、現職。